学習支援の環状島ー学習支援と怖さー
2023年度授業「地球社会と共生」受講生・匿名
⓪ 中学1年の時の環状島 ー「善意が悪になる」経験ー
概要
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中学1年生で陸上部に入部した直後〜冬にかけての頃
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とにかく走ることができない状態が続いていたが、自分が貧血であることは冬に体育教師Aに指摘されるまでわかっていなかったため、走れないのは「妥協しているから」「自分が怠惰だから」だと思っていた(そのように顧問から指導されていた)。
学んだこと
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並走者の大切さ
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「なぜ、走れないのか?」「苦しいのか?」などは一切聞かず、唯一走り終わっていない自分の横に来て一緒に走り、「ファイト」と声をかけ続いてくれる人がいたことで、部活に居場所を保つことができた。
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善意による行動が当事者を苦しめることがあるということ
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顧問は指導熱心で、厳しく叱ることもあった。しかし貧血で走れない自分にとって、妥協するなという指導や、弱音を吐くなという言葉は、身体の異常を心の問題にすり替えたもので、指導として間違っていた。生徒を思い、良かれと思ってしていた指導が、生徒を困惑させ、苦しめることもあるのだと、学んだ。
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① 学習支援の環状島
概要
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放課後学習支援の環状島。教室につながる理由は人それぞれで、子どもの状況や、内海を抱えている場合はどんな要素が沈んでいるのかを見立てるところから関わりが始まる。ここでは、子どもが抱えるあらゆるものを一つの環状島として描いた。
【内海】
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経済的な困窮をはじめとしたさまざまな要素が混ざり・重なり合っている。
【内斜面】
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子ども
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内海に引きずり込もうとしてくる困難(<重力>)を抱えていても、内斜面を登って「貧困の連鎖」を断ち切ろうとする人もいる。
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一見明るく勉強熱心でも、<海底火山>のように語られない何かを抱えている場合もある。
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当事者性を持つボランティア
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「学習に困難を抱えたことがある」「周りにできることがなぜだかわからないけど自分にはできない、という状況」という意味で、自分も当事者になることもある。
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【尾根】
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スタッフ
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立場上見渡せる範囲が広く、発言力がある。
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経験豊かなボランティア・研究者
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経験と知識によって見渡せる範囲が広い。研究の発表は<外海>や他の環状島まで届くメッセージの発信にもなる。
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【外斜面】
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当事者性を持たずに支援に向き合うボランティア
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ほとんどの場面で、自分の立ち位置はここになる。
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自治体・行政
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教室運営を金銭的に支えることで、関わるボランティアの数が増えるなど、環状島(支援の場所)をくっきりと浮かび上がらせる。その意味で<水位>を下げる存在でもある。
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同時に、<外斜面>と<内斜面>に道をつくる(学習を通じて「貧困の連鎖」を断ち切るのだという方向性を示す)ような役割を持つが、その道を通ることが半ば強制されることで内海から出られない子どもや、教室から遠ざかる子どももいることから、<水位>を高めているように思える側面もある。
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【風】
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新たなボランティアの参加によっても教室の雰囲気や関係性が変動する。スタッフの変更や教室運営の方針の変更にも環状島全体が影響を受ける。
【外海】
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子どもや家庭が抱える背景に対する社会的な不理解・不寛容。
【加傷者】
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「加傷者」となる存在を持つ子どももいることは念頭において活動をする。
【自分の変化】
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「寄り添う」「勉強を教える」ということに力を入れすぎてしまっていて、頑張りを子どもに強いてしまっている自分(頑張らない子にイライラする)がいると気づいた。現在は、基本的には外斜面に立って距離を置くようになった。
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本人が抱えているものを正面から受け止めて無理やり引き上げたりするのではなく、事情を詮索せずにただそばにいる「並走者」のような存在も大切なのではないかと考えている。
② 環状島全体図
【学習支援とつきまとう怖さ「善意が悪になる」】
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沈黙している子、勉強しようとしない子に対して勉強をしようと言って近づくことは、少しでも外斜面側に導くためであるが、そのことが本当に本人のためになっているのかがわからなくなる時がある。
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基本的には自分に見えている地形が反対側にも続いていて、環状島ができていると思っているが、実際は雲や霧で見えていないのかもしれない。内海を抜けた環状島の反対側には、こちら側よりももっと腰を下ろせる場所があったり、登りやすかったりする地形が実は広がっているのかもしれないと思ってしまう。(「学力を身につけて強く生きろ」と自分も社会も子どもに対して言っていて、他の生き方の可能性を考えようともしていないのかもしれない。)
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自分が良かれと思ってやっている善意が、当事者にとっては悪であることへの怖さがずっとある。